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児童虐待の対応ミスは個人の問題なのか

2019年3月には児童相談所に「虐待されているような動画がある」との通報があり、市の職員らが訪問していたものの、〇〇ちゃんの体の状況などから異常は確認できなかったという。

しかし、その後も〇〇ちゃんが夜遅くにひとりで自宅の外にいたことから、警察が4回にわたって保護。
警察は児童相談所に対し一時保護の必要性を通告したものの「親子に愛着が見られ、虐待の事実は見られなかった」として保護には至らなかったという。

2019年3月から4月にかけて計5回、虐待をうかがわせる通報があり、警察からも一時保護の必要性を通告されていた〇〇ちゃん。
これに対して、一時保護の措置を取らなかった児童相談所は「この件は虐待ではなく、ネグレクト(育児放棄)の案件である」と認定。鹿児島中央児童相談所の佐多士郎所長らは「あくまでも今回は“ネグレクト案件”として動いていたので、その対応は適切だったと考える」と述べている。

しかし、この対応について、児童相談所に児童心理司として19年間勤務していた山脇由貴子氏は「ネグレクトだから保護しないというのは間違い。ネグレクトは虐待そのものなのですぐ保護すべきだった。専門性が低いと言わざるを得ない」と指摘している。

https://www.fnn.jp/posts/00048009HDK/201909021902_livenewsit_HDK

児童相談所の対応を責めるのは、何の解決にもならないです。これはとるべき対応の解釈が個人によって異なる、つまり対応が統一されていないことが問題と考えるべきです。

例えば、「親子に愛着が見られる」というのは具体性のない、人によって解釈の異なる行動です。それよりは絶対的な基準があるほうがよいです。例えば、以下のような例が考えられます。

  • 警察の保護が〇回以上あったら児童相談所で保護
  • 身体に虐待がなくても、決められた体重以下であったら保護
  • 児童相談所以外でも学校、地域の2か所で問題が報告されたら保護

客観的指標は誰が行っても同じ結果になることが重要です。システムそのものを考えていく必要があるのではないでしょうか。

こういった組織の場合、ヒーローはいりません。誰でも同じ良い結果が得られるような画一の対応が求められます。

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